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symbianスマートフォンの終焉 その7~最高の端末の誕生、symbianの終わり [携帯電話]

■5th editionからsymbian^1
 端末の面においては他にはないデザインで独自性を出してはいるものの、スマートフォン分野では苦戦を強いられている。OSの面においてもかつての仲間たちはandroidの採用を決定し、symbianのもとを去っていく。この両方をてこ入れすべく、ノキアは動いた。
 iPhoneの登場以来、ユーザーも携帯電話メーカーもそれに似た物を欲していた。そのひとつがタッチパネルである。すでにsymbianOS S60は、5th editionにおいてタッチパネルに対応していた。そこでsymbianは、5th editionこそ今後の祖となるべきものであるという意味もこめて、5th editionを“symbian^1”へと名称を変更した。
 iPhone=iOSとandroidが注目を集め、スマートフォンOSのシェア争いが注目を集めた。しかし2011年初頭まで、そのトップに名を連ねていたのがsymbianOSである。高機能携帯である“スマートフォン”のユーザーに新たになったもの、あるいはこれからなるであろうものには、symbianOSがどんなものか知らない人が多数だっただろう。そういった人々に対して「symbianとは何か?」を明確に提示する狙いも大きかったと思われる。

■遅すぎた端末の進化
 端末面においても変化が見られた。これまでのNseries、Eseriesに加え、ノキアの核となる様々な種類の端末をそろえたCseriesを立ち上げる。このCseriesにもスマートフォンがラインナップされた。2010年前期にはsymbian^1を搭載した「C6-00」が、2010年後期にはOSをバージョンアップしsymbian^2を搭載した「C6-01」、「C7-00」が登場した。そしてNseriesには最高の性能を備えた「N8-00」が登場した。
 この4機種はすべてタッチパネルのみでの操作が可能であり、やっとiPhoneのユーザーインターフェイスに追いついてきたことを証明した。しかし「C6-00」以外の端末は2010年6月以降、iPhone4発売後に登場したものだった。

■最高の端末とともに
 「N8-00」はノキアがこれまで発売した端末の中では、最高の予約数となった。このことからもタッチパネル端末を、ユーザーが求めていたことが分かる。それと同時にsymbianスマートフォンユーザーの中には、オープンソースであるsymbianOSの強みがこれから生きてくるとも考えていただろう。SymbianOSには“新しいスマートフォン”にはない過去の財産がある。これらを生かすことによって“新しいスマートフォン”との戦いにも勝てるだろう、と。
 しかしそれは突然訪れた。SymbianOSを普及させる目的で数多くの端末メーカーが参加した「Symbian Foundation」の解散が、2010年11月に発表された。2009年2月に設立されたこの組織には先にも触れたandroidOSに流れてしまった数々の端末メーカーや、NTTドコモなどのキャリアも参加していた。が、この解散がアナウンスされた時点でsymbianOSを採用するスマートフォンを販売しているメーカーは、すでにノキア1社となっていた。
 最高の端末とともに迎えたsymbian終焉の始まり。2010年12月には予定どおり、「symbian foundation」のWEBサイトや各地の事務所は閉鎖された。2011年3月の解散の前に、ノキアは大きな決断を下す。それが2011年2月、Windowsの採用であった。


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